2006年11月29日水曜日

「ランドスケープデザインの政治的側面」

京都にある無隣庵を見学する。山県有朋がデザインし、小川治兵衛が施工したという近代の庭園である。山県有朋は軍人系の政治家である。琵琶湖疏水を京都に導いた立役者であり、時の総理大臣だった。その疎水を自分の庭に引き込んで庭をつくっている。

山県有朋はランドスケープデザイナーか。本気で美しいランドスケープを創造したいと願うのであれば、ランドスケープデザインを志すものは政治家になるべきなのかもしれない。議員立法で景観法を提案すべきなのである。京都に疎水を引き込むべきなのである。そして、自分の庭を自分でデザインすべきなのである。

風景をデザインするためのスキルを携えて、声がかかるのを待つという態度。これが本気でランドスケープをデザインしようとするものの態度だろうか。デザインしようとしている対象が「風景」という広がりを持ったものである場合、その作業はきわめて政治的な手腕を要することになるだろう。風景をデザインする枠組みをデザインすること。それは政治家の仕事であり、同時にランドスケープアーキテクトの仕事だと言えるのではないだろうか。

そういえば、オルムステッドはきわめて政治的な駆け引きがうまい人だったと聞く。ランドスケープアーキテクトという言葉が生まれたときから、その職能は既に政治的な要素を内在していたようだ。政治的なスキルを持たないランドスケープデザイナーは、「ランドスケープデコレーター」と名乗ったほうが適切なのかもしれない。

あなたがデザインしようとしている対象は風景なのである。

山崎