2005年5月28日土曜日

「奇抜なカタチと選択的な利用」

夕方から、コーディネーターとしてarchiforumに出席する。ゲストは遠藤秀平さん。

遠藤さんがつくる建築は奇抜なカタチが特徴的である。そして、奇抜なカタチをユーザーがどう使いこなすかという点がよく考えられている。しかし、そのことはあまり多くの人に知られていない。そのため、カタチの奇抜さだけを問題にされることが多いようだ。今日のディスカッションでも、遠藤さんはカタチの奇抜さについてほとんど触れないように話を進めていた。奇抜なカタチが可能にする利用の多様性について議論しようとしても、慎重にカタチの話を避けて話を進めているように感じられた。

たぶん、遠藤さんはこれまでカタチについてかなり多くの議論を交わしてきたのだろう。あれだけ個性的なカタチである。いろいろな場所で議論のネタになったはずだ。その経験から、不用意な「カタチ議論」からは距離をとる習慣が出来上がっているのだろう。そう考えてしまうほどに、遠藤さんはカタチの話に寄り付かなかったのである。

「わからないことの位置づけをもう一度考えなければならない」と遠藤さんは言う。「ある種の正当性や妥当性、そういうわかりやすさの要求が防衛本能を優先させる状態を生み出している」というのだ。ランドスケープデザインにも同じことが言える。無駄の利をどう説くのか。機能がないことが全体にどう機能するのか。遠藤さんの考え方、そして出来上がる建築のカタチには、無駄や不可解や無機能といった空間的特長が多く見られる。それが大切だと遠藤さんは言うし、僕もそう思うのである。

帯状の連続した空間に、閉鎖した部分と開放した部分があって、利用者が場所を選んで使うことができる建築。遠藤さんの建築は、そんな建築だと思う。つまりそれは選択的に利用できる建築であり、家族構成や利用者層の変化に対応できる建築である。

遠藤さんとのディスカッションで面白かったのは以下の点。

・パブリックスペースを設計する際、個人をどう介入させるかが難しい。

・建築は場所によって変わるが、土木は場所性を消していく。景観法を作っても、土木構造物をつくるシステムが変わらなければ景観は全国一律にならざるを得ない。

・公園を住宅のように作れないか。プライベートな空間構成を有するパブリックスペース。住宅のような居心地で公園を使うこと。30年後、その場所に公園が要らないということになった場合、ガラスをはめ込めば住宅になるような公園。

・逆に、ガラスを取り外せば公園になるような住宅は設計できないか。人口減少時代に対応した住宅のあり方とは。

・扉や窓や階段など、建築のスケールを屋外へ持ち出すことによって、人々が「使いこなす外部空間」を作り出すことはできないだろうか。

・人々の関与のきっかけを与える建築をつくりたい。人々が環境に関与し始めるきっかけとなる空間とはどんなものか。

マゾヒスティックランドスケープとしても、郊外の安楽死プロジェクトとしても、興味深いディスカッションだった。


遠藤秀平さん

山崎

2005年5月24日火曜日

「ワークショップの名称」

夕方から大阪府堺市の南海堺東駅前を対象にしたまちづくりワークショップに出かける。ワークショップに参加するのは、地元の商店街組合、南海電鉄や高島屋、専門店街組合、ヤマハなど、駅前で商売している人たちだ。

堺市にはどうも縁があるらしく、いろんなことに関わらせてもらっている。「Studio:L」というグループで活動していた2000年には毎週のように堺市の旧環濠地区へ通っていたし、その成果としてまとめた本を読んでくれた山之口商店街の人が「一緒に面白いことをやろう」と声をかけてくれている。僕にとって親しみのある街なのである。

そして今回、旧環濠地区の東側に位置する堺東駅前のまちづくりに関わることになった。30名ほどのワークショップ参加者は地元で商売している人が多く、堺東駅前の将来を本気で考えようとしていることが伺える。7回ほどワークショップを担当することになったので、少しずつ参加者と知り合いながら街の面白いネタを探してみたいと思う。

参加者は面白そうな人たちが揃っているものの、1つだけ気がかりなことがある。このワークショップの名称である。

『せや堺、ええ街つくり隊』。

気取って横文字を使うことを是とするわけではないが、ことさら関西を強調する必要も無いんじゃないか、と考え込んでしまう。誰が決めたのかは知る由も無いが、この名称がすでに僕らの与条件となっている。

なるべく楽しい会にしたいと思う。

山崎

2005年5月23日月曜日

「ブリコラージュ」

昼から国立民俗学博物館の「ブリコラージュ・アート・ナウ」展を見に行く。以前見た「ソウルスタイル」展が衝撃的だったので、同じく佐藤浩司さんが企画した今回の展覧会を見に行くことにしたのである。正直に言えば、僕は佐藤さんの企画展を見る以外にみんぱくへ行こうと思ったことがない。佐藤さんの企画展以外に興味を惹かれるみんぱくの企画展に出会ったことがないのである。

ブリコラージュ展も前回のソウルスタイル展と同じく「これはまずいんじゃないだろうか」と思える仕掛けがいっぱいだった。大切な収蔵品が惜しげもなくブリコラージュアートとして利用されている。収蔵品が持つ文脈を無視したかのような取り扱いが、逆にその収蔵品に新しい魅力を与えている。そう感じた。

博物館に勤める人なら誰もが一度はやってみたいと思う企画かもしれない。偉い先生がアフリカの奥地で見つけた仮面に、子どもの体をひっつけてヘヴィメタを演奏させること。アジアの偏狭で見つけてきた像に、吹田市のリサイクルショップで買ってきた釣具と魚のおもちゃを組み合わせて「釣り人」にすること。苦労して収集した先生たちが見たら激怒するような収蔵品の扱いである。

しかし、釣具と組み合わされることによって初めて、僕はその仏像の穏やかな顔をじっくりと眺めたくなったのである。魚が釣り糸にかかるのをじっと待つその表情。背筋を伸ばして座禅しながら釣具を構える無駄のない構え。他の多くの仏像と共に「アジアの仏像」として展示されるよりもずっと親しみが湧く展示だといえよう。

パンフレットには次のように書かれている。「目的に合わせて材料や道具をそろえる近代科学的なアプローチに対して、ブリコラージュはありあわせの素材を利用して何かを成し遂げようとします。カレーライスをつくろうとして材料を買い揃えるのではなく、冷蔵庫のなかのありあわせの材料でつくるお惣菜のようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。」

僕らの身の回りにあるものは、ほとんどが単一の目的のための作られたものだ。その目的を一度無視してみると、その他の使い方が思い浮かぶだろう。そんな風に生活を見直してみると、僕らの生き方はずっと楽しいものになる可能性を秘めていることに気づく。

「ビールの缶はビールを容れるためにあるのです。だから、中身のビールがなくなれば、空き缶は用済みになって捨てられてしまいます。ところが、ブリコラージュの仕事人は、空き缶から帽子やカバンや子どもの玩具を作り上げます。私たちは意表をつかれ、そこにビールの缶の可能性と作り手の想像力とを垣間見るのです。」

道路を道路として捉えるのではなく、単に細長い空間が繋がっていると考えてみると、道路空間の用途外利用をたくさん考えることができる。河川や港湾についても同じだ。「こう使うべき」と考えるのではなく「こうも使える」という発想で都市を見るとき、都市はまだまだ楽しめる場所だということに気づく。

道路際に設置された「パーキングメーター」に600円入れることによって、その前面の道路空間で60分間バーベキューをしてみよう。パーキングメーターの利用対象が車両等に限られるのであれば、キャスターを取り付けたボードの上に七輪を置いて焼肉をしてみよう。都市を使いこなす人が増えると、僕らの街はもっとワクワクする場所になると思う。

パンフレットの最後にこんな文章が載っている。「展示の背景にはひとつの社会イメージがあります。それは、社会の理想にあわせて個人が無理をしなければならなかったり、リストラをしたりするのではなく、生きる目的を持った個人の、あるがままの個性の集合を前提にした社会。つまり、ブリコラージュな社会への夢です。」

山崎

2005年5月21日土曜日

「学習の循環」

朝から神戸市北区の藍那にある国営明石海峡公園神戸地区(予定地)へ出かける。ユニセフパークプロジェクトのファシリテーター研修キャンプに参加するためだ。

久しぶりに電車で藍那へ向かう。神戸電鉄に乗り換えるあたりから、バックパックを背負った学生さんを見かけるようになる。明らかにユニセフパークプロジェクトのファシリテーターキャンプに参加する人たちだ。藍那駅で電車から降りると、多くの学生さんも一緒に下車する。彼らと一緒にバックパックを背負って改札を出る。

駅の改札からキャンプの現場までは30分ほどの道のりだ。参加者たちは、初対面にもかかわらずすぐに仲良くなる。歩きながらいろんな話をしているのが聞こえる。「UPPに関わるようになって長いんですか?」と僕も聞かれる。微妙な質問だが「ええ。6年ほどになります。」と答える。プロジェクトを企画した頃から数えれば今年で6年。早いものだ。

ファシリテーター研修キャンプは、既存のファシリテーターたちが自ら企画し、参加者を募集し、準備し、プログラムを実施する。したがって、僕がやらなければならないことはほとんどない。お客さんのように、ただキャンプへ参加していればいいだけなのである。

ファシリテーター研修キャンプは1泊2日。ユニセフの活動について、里山の仕組みについて、遊び場づくりについて、戦争について、水について、食料について、健康についてなど、それぞれアクティビティプログラムを通じて学ぶ。また、プログラムの間に食事の用意やテントの設営などを行い、グループ内部の結束力を高める。このとき、既存のファシリテーターと新規参加者がどれだけ仲良くなれるかが重要だ。キャンプが成功すると、多くの新規ファシリテーターがユニセフパークプロジェクトに登録する。その定着率の高さは、キャンプの完成度に左右される。キャンプの完成度は、そのキャンプを企画・準備・運営した既存のファシリテーターたちのがんばりに左右される。

レベルの高いキャンプを経験して入ってくる新規ファシリテーターは、次のファシリテーター研修キャンプをさらにレベルの高いものへと昇華させてくれる。「サステイナブル・エデュケーション」とでも呼ぶべき「学習の循環」が発生すると、プロジェクトにおける人材育成はどんどんレベルが上がる。

今回のファシリテーターキャンプの結果、どれだけの人がUPPに定着するだろうか。既存のファシリテーターたちがキャンプの準備に追われているのを眺めながら、僕はどの参加者がUPPのファシリテーターとしてプロジェクトに定着しそうかを観察していた。


グループに分かれてUPPについて学ぶ

新しいUPPのメンバーたち

山崎

2005年5月20日金曜日

「安心だから安全」

夕方から「安全・安心のまちづくり」に関する研究会に出席する。今回のゲストスピーカーは、北海道大学の棟居快行教授。

憲法学者である棟居さんの話で面白かったのは以下の点。

前回のゲストスピーカーである水田さんは「安全だから安心なのである」といわれた。この自明な答えを若干かき混ぜてみたい。

・経済的自由の規制目的としての「安全」=例えばBSEの牛肉を自由に輸入させないことは、国民や消費者の安全を守るための究極的な規制である。

・経済的自由に関する憲法の言及は2箇所ある。22条1項は営業の自由(フローの自由)。29条2項は財産権の自由(ストックの自由)。フローとストックの双方に自由が認められてこそ経済の自由が担保されていることになる。この両者に「公共の福祉」という言葉が見られる。

・日本国憲法が認めている経済的自由は、公共の福祉による広範な制約に服する。

・安全確保という観点からの経済活動の規制は「消極規制」であり、それは必要最小限の手段でなければならない。経済に対する国の介入は最小限であるべきである(判例・通説)。

・国民に代わって国が安全を確保するのは正しいことなのか。危険な食材を国が輸入規制したり抜き打ち検査したりし続けるのが正しいことなのか。逆に、十分な情報開示の元に個人の自己決定で安全を確保することもできるのではないか。例えば、80歳のおばあさんが輸入牛肉を使った牛丼を食べたいとする。10年後に発病するかもしれないというBSEというのは、本人にとって問題ではないかもしれないだろう。

・子どもも大人も高齢者も、すべて行政が一律に安全を確保するのではなく、十分な情報開示を前提にして「安全」すらも自己決定で選んで生きるという方法もあるのではないか。「安全」に関する選択の自由を我々は奪うべきではないだろう。

・「安全か自由か」という問い自体があまりいい問いではない。

・経済的自由が乱用されると個人の安全とか健康が害される。そうなると、必要最低限の安全確保が求められる。そのとき国家は情報を十分に公開して、個人の自己責任によってそれを判断する必要がある。

・物理的な「安全」というものが本当に可能なのか。それを無理やり実現させてしまうと、都市の潤いや自由というものが水に流れてしまうのではないか。「過密性」「匿名性」という都市のリスクを少しひねって考えれば、「人間の稠密度が高い」とか、「コミュニケーションが活発である」とか、匿名性を活かした都市固有の「安心」に気づくのではないだろうか。アドホックな関係に基づくジャズのセッションのように、通勤電車の中でたまたま居合わせたの人たち同士の連携に見られるような安心というものがあるのではないか。

・安全・安心とは何か。まちづくりとは何か。安全と安心の両者の関係について、私は「安全だから安心なのである」という立場をとらない。完全な安全というのは、逆に人間を孤立させてしまい、活力を削いでしまうことになる。むしろ、「活力」が「安心」につながるのではないか。あるいは、安心だから安全であるという方向もあるのではないか。

・ユートピアの幻想を追い求めて、庭付き一戸建ての家を買ってあらゆるリスクから逃れようとしたのがこれまでの風潮だった。しかし、それで本当の安心を得ることができたのだろうか。三田の山奥で息子はどこで何をやっているのだろうか、と心配するよりも、三宮で賃貸マンションに住んで、どうせ息子は近所にいるだろうと思うほうがよっぽど安心なのではないか。郊外に住宅を持って都心まで通勤して、息子や娘は遠い学校へ通学する。手を広げすぎて熟睡できない生活をしているのが郊外住宅地の生活なのであり、そこにあるのは「不安」である。郊外住宅地に感じていた安心な生活は幻想の中にしか無くて、実際は三宮に住むほうがよっぽど安心だということになる。都心回帰現象は、今後必ず神戸でも起きるだろう。都心で精神的に豊かな生活をするというのが「安心」そのものなのである。

・これまでハードを担っていた行政が、ソフトを分かりやすく提供することを仕事にするべきなのではないだろうか。ただし、そこで危惧していることがひとつある。「安全」が新しい公共事業化してしまうのではないか、ということ。形骸化した安全を行政が押し付けるだけになってしまうと、そこでの安全は「安心」と何の関係もない安全になってしまい、結局それは安全でもなんでもないことになってしまうだろう。

山崎

2005年5月19日木曜日

「仕事を関係付ける」

午後からタケオペーパーショーを見に行く。毎年恒例の「紙の展覧会」である。アーティストやデザイナーが、紙をテーマにした作品を作り出す。今年のデザイナーのなかには、建築家の塚本由晴さんの名前があった。

塚本さんの作品は、今回のテーマカラーであるオレンジの紙でアーチを折るというもの。その大きさが尋常じゃない。直径10mほどあるような紙のアーチなのである。幅は1m程度。このアーチを何個も作ってつなげると、半円柱形のシェルターができる。紙の防水性を高めれば、折り紙による建築が作れるかもしれない。そんな提案だった。

このアーチ、実は別のワークショップで集まった学生たちと作ったものだという。神戸のアートセンターが主催したワークショップで講師を務めた塚本さんは、タケオペーパーショーのための折り紙アーチをみんなで作ってみたそうだ。アートセンターのワークショップをペーパーショーに出品する作品づくりに活かす。これはうまい連携である。何かの講師を頼まれたとき、別の案件のための作業を効果的に実施する。そういうことができれば、極端な話、頼まれた仕事の半分の仕事量ですべての依頼に応じることができる。

「忙しい、忙しい」とつぶやく前に、塚本さんのような「仕事の連鎖」を考え出すべきだ、と自省の念に駆られた1日だった。

山崎

2005年5月10日火曜日

「五蘊無我」

夕方から21世紀文明研究委員会に出席する。ゲストスピーカーは兵庫県立大学の岡田先生。岡田先生の専門は環境哲学。今日は特に「日本的哲学」の話をしてもらった。

仏教には「五蘊無我」という言葉があるそうだ。五蘊とは、すべての物体を構成している最小単位。今風に言えば原子のようなものだろう。この世に存在するものは、すべて原子から成り立っている。したがって、人間も死ねば原子がばらばらになって、それらの一部はいずれほかの生命体を形作ることになる。つまり、五蘊(原子)は環境世界に存在するすべてのものが共有している「要素」であると考えられる。

そう考えると、原子の集合体である生命体や物体に、固定的で普遍的な「我」というものはないということも理解しやすくなる。そのことを「無我」と呼ぶ。五蘊無我という言葉は、「原子の集合体にはそもそも絶対的な我など無いのだ」ということを意味しているのだろう。

中学生のころ、すべての物体が原子から構成されているということを知った。空気さえも原子が集まってできているのだということに驚いた。そして思った。どんな存在だっていずれは原子に戻ってしまう運命なのだ。だとすると「本当に大切なもの」なんて実はどこにも無いんじゃないか。。。

しかし、中学生にとって「本当に大切なものなんて何も無い」というのは夢が無さすぎる結論だし、少々息苦しいことでもあった。だから、自分なりに大切なもの(つまり原子に還元されないもの)を探してみた。そのとき思いついたのが、詩や音楽といった無形文化財的なもの。物質として残るのではなく、語り継がれることによって残るもの。そんなものが、本当はすごく大切なんじゃないかと思った。

有形になると原子に還元されてしまう。だから、無形で語り継がれるものにあこがれた。書面に残せないもの。絵や図面に表現できないもの。原子が主な構成単位ではないもの。そういうものこそ、原子の集合体である「人間」が生み出したものとして、胸を張って主張できる成果物なのではないか。そんなことを、原子の集合体である脳を使って考えたことがある。

そのころの僕の脳と今の僕の脳は、ほとんどすべての細胞が入れ替わってしまっているがゆえにまったく別物だともいえるだろう。今の僕の脳を構成している原子は、中学生のころの僕の脳を構成していた原子とまったく違うはずだ。それでも、僕が当時考えたことは今でも思い出せる。これはすごいことである。

もちろん、脳という原子の集合体があるからこそ記憶が保存されるのだが、僕は「原子の集合体」よりも「原子の集合体が生み出して語り継いできたもの」のほうに魅力を感じてしまう。

改めて考え直してみると、この関係は建築やランドスケープにおけるハードとソフトの関係に似ているような気がする。空間のカタチとナカミとシクミについて、一度「日本的生命観」という視点から捉えなおしてみたいと思う。

山崎

2005年5月7日土曜日

「負の遺産」

クルマで愛知万博長久手会場の前を通る。

万博のための道路、万博のための駐車場、万博のための鉄道、万博のためのバス。行政はいずれも「万博のためだけではありません」と説明しているそうだが、どう考えてもあれだけの道路や駐車場や鉄道やバスを必要とするような郊外住宅地が万博会場付近にできるとは思えない。いや、物理的に無理やり作り上げたとしても、あの場所に住みたいと思う人がそれほど多いとは思えない。

すでに長久手町の古いニュータウンでは人口減少が顕著になりつつある。空き地や空き家も徐々に目立っている。20年ほど前、愛知万博の会場近くに開発された「長久手ニュータウン」には今も売れ残っている空き地が続いている。その一方で、同じニュータウン内に転居して空き家になった家も点在している。買い手を待つ土地と住み手に捨てられた家が共存する古いニュータウン。


空き地が続く「長久手ニュータウン」

すでに空き家と化している住宅

そんな長久手町に、巨額の税金を投入した新しい郊外住宅地を開発して、道路や駐車場や鉄道やバスの定常的な利用者が確保できると信じ込むのはあまりに楽天的過ぎる。

新たに作られた「名古屋瀬戸道路(900億円)」や「東部丘陵線リニモ(1100億円)」を眺めながら、成長時代の思考が未来の社会に負の遺産を残してしまったことを実感した。同時に、少しでも早く「人口減少時代の計画論」を構築するべきだという気持ちになった。


低速リニアモーターカーの「リニモ」

鉄道のチケット売り場は10ブース用意されているが客は見当たらない。

山崎

2005年5月3日火曜日

「虚飾の愛知万博」

週末に愛知万博のそばを通ることになったので、前田栄作さんの「虚飾の愛知万博」を読む。

前田さんは、愛知万博を「土建国家の最後の祭典」と位置づけている。今後、こんなに無駄なお金を使うお祭りは行われないだろうというのだ。実際、前田さんが調べた「万博に関わる無駄なお金」を見ると確かにバカらしくなる。社会に祭りが必要だとしても、国民に国家的祭典が必要だとは思えない。特に今回の愛知万博のように、経済と環境の双方に負荷をかけるお祭りなんて必要ないのではないかと思ってしまう。経済と環境という2つの「エコ」に対して、愛知万博はいずれも取り返しのつかないほどの赤字と破壊を与えてしまうようだ。そのことが決まってしまった以上、それらの負債を無駄にするのではなく、それがどれほどのものかをしっかりと体験しておく必要があるだろう。無意味な万博だとしても、そこから意味を見出すのは自分次第なのである。

万博の入場者数は、予想通り芳しくないそうだ。さんざんお金をつぎ込んだ万博だったが、予想の半数にも満たない来場者数なのだという。この万博で生じる借金は、当然ながら僕たちの税金で補填されることになる。

それで済めば傷は浅いのだが、万博協会は入場者数を増やすために更なる借金を作ろうとしているようだ。見かけ上の入場者数を増やすため、愛知県内の小中学生を入場無料にするというのである。無料といっても、学校から児童や生徒の入場料を徴収するという仕組みであり、つまるところこれは文部科学省、教育委員会から学校に流れる税金の一部である。

今後も万博協会は入場者数を増やすためにいろいろな工作を目論むだろう。そのたびに税金が使われることになる。そう考えると、万博に何らかの意味を見出して、少なくとも自分にとっては無駄な万博にならないような努力をすべきだと思う。

ちなみに、1989年に名古屋市で「世界デザイン博覧会」という博覧会が開催された。デザイン業界ではわりと有名な博覧会である。僕はデザイン関係の本でこの博覧会のことを知ったのだが、有名なデザイナーが多く関わって盛大に開催された博覧会だったようだ。当時、僕がデザインに興味を持っていれば確実の足を運んだだろうと思える博覧会だ。ところが前田さんの本によると、この博覧会も8億円の赤字だったという。「デザイン」をテーマにしたところで、市民は会場に足を運ばなかったということなのだろう。結局、有名なデザイナーが自分のデザインを実現させるために多くのお金を使っただけだった。困った事務局は、博覧会で使った備品や舞台やパビリオンを中古物品として名古屋市に売りつけたそうだ。その額10億円。その結果、デザイン博の終始は2億円の黒字に転換。デザイナーの欲望の捌け口が、中古物品となって粉飾決算のネタになってしまった。この件については、当然オンブズマンに指摘されて、現在も裁判が続いているという。

デザイナーというのは、「万博的なるモノ」に加担してしまう危険性を内在している職業だ。そんな僕たちが愛知万博に無批判的であるのはあまりにのんきすぎるといえよう。

山崎