2004年12月18日土曜日

「質問と回答」

夕方からアーキレヴューに参加する。今回のテーマはアーキグラム。ゲストコメンテーターは「アーキグラム」の訳者、浜田邦裕さん。プレゼンテーションは、二宮章さん、竹内正明さん、北川文太さんの3人が担当。コーディネーターは住本欣洋さん。

二宮さん、竹内さん、北川さんの3人が繰り広げるプレゼンテーションの流れは非常に刺激的だった。まずは二宮さんがアーキグラムの時代にどんなグラフィックデザインのムーブメントがあったのか(スペースエイジ/フラワーチルドレン/ポップアート/カウンターカルチャー)を整理する。続く竹内さんがその時代の世界と日本における建築のムーブメント(CIAM/チームⅩ/坂倉・前川・吉阪/丹下健三/磯崎新/メタボリズム)を整理する。そして北川さんが生活者の視点からアーキグラムの描く世界の実態(都市空間に対する記憶の喪失/個人のアイデンティティの喪失)を批評する。

二宮さんのプレゼンテーションによってアーキグラムが活躍した時代の背景を把握することができた。建築分野のみならず、関連分野におけるムーブメントを把握しておくことは重要である。特にアーキグラムのようなグループをテーマにするときはなおさらだ。二宮さんは、グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、映画、アートの世界で起こったムーブメントを時系列に整理し、アーキグラムの時代的な位置づけを明確にしてくれた。

竹内さんのプレゼンテーションは、アーキグラムの基礎を学ぶ教科書的な役割を果たした。今までのアーキレヴューに抜けていた種類のプレゼンテーションである。このプロセスが抜けていたため、時に来場者から「発表内容が独りよがりだ/ディスカッションの文脈が理解しにくい」などという批判を受けてきた。その部分をしっかりフォローしてくれたのが竹内さんの懇切丁寧な説明である。おかげで来場者がアーキグラムについての共通認識を持つことができた。すでにアーキグラムや近代建築ムーブメントについてしっかり勉強している人にとっては少々退屈な時間だったかもしれない。しかし、この退屈な時間が大切だったのである。この時間を我慢したからこそ、続く北川さんのプレゼンテーションで多くの発言が飛び出したのだから。

北川さんのプレゼンテーションは、一生活者という視点からアーキグラムが描く都市を疑似体験するとどうなるかについて語るものだった。独自の視点である。プラグ・イン・シティやインスタント・シティが生み出す都市は、生活空間として豊かなものになるだろうか。人々の記憶に残る街になるだろうか。都市のアイデンティティは、そこで生活する人のアイデンティティを蓄積したものである。そして個人のアイデンティティを支えているのは都市空間の記憶である。都市の記憶を消し去りながら発展しようとするアーキグラムの都市像は、発展の原動力である生活者のアイデンティティを崩壊させ続ける。この自己矛盾を解決しない限り、アーキグラムの掲げる都市が実現する可能性は低いままだろう。北川さんの論旨は以上のようなものだった。

本人の思惑通り、北川さんの発表に対しては多くの議論が巻き起こった。特に浜田さんの指摘の中で興味深かった点は以下の通り。

・アーキグラムは郊外主義者。無機質で面白くない郊外住宅地の生活をどう面白くするのかを真剣に考えていた。インスタント・シティの舞台が郊外ばかりなのもその理由。

・郊外住宅地にインスタント・シティがやってきて、イベント的な刺激を与えて、次の郊外都市へ移動する。刺激を与えられた郊外都市は、他の郊外都市と連携しながら独自の都市へと変貌する。

・プラグ・イン・シティは、メタボリズムなど海外の情報に触発されて考えた後期のアイデア。アーキグラム本来のアイデアはインスタント・シティに凝縮されている。

・メタボリズムの背後には丹下健三がいたのではないか。あの時代の資料を読み込むと、丹下が言いたいことを若いメタボリズムのメンバーに言わせていたという構図が浮かび上がる。

・メタボリズムは丹下を意識していて、丹下はコルビュジエを意識している。つまり、メタボリズムもコルビュジエ以降のモダニズムという枠の内側に留まっていたことになる。

・メタボリズムと丹下の関係については、かつてピーター・クックが指摘していた。その上で、アーキグラムはそのような師弟関係にある組織ではないとしている。

・アーキグラムのコンセプトメーカーはデヴィッド・グリーン。ドローイングはピーター・クックとロン・ヘロンが担当。デニス・クロンプトンはほとんど何もしていなかったのではないか。

・最近の建築シーンを見ていると、ムーブメントの消費が早すぎるように感じる。特に最近の日本の建築家は、世界の流行を消費し尽くしてしまうのが早過ぎるのではないか。

3人のプレゼンテーションにおける「流れ」が絶妙だったおかげで、浜田さんやアーキレヴューの米正太郎さんを巻き込む活発な意見交換がなされた。ただし、議論する各人がシナリオを作りすぎていたことは少し残念だったといえよう。自分がしゃべりたいと思っていることを固定しすぎているため、対話が十分に機能していなかったのである。

例えば、米正さんが浜田さんに対して投げかけた「アーキグラムは自分たちの計画案をどの程度実現させるつもりだったのか」という質問に対して、浜田さんは明確な回答を示すことなく「建築を設計しない人が建築を批評すること(例えば浅田彰さんの一連の発言)」の弊害について語った。また、浜田さんの「アーキグラムの持つガッツから僕らは学ぶ必要があるのではないか」という発言に対して、北川さんは「アーキグラムのガッツ以外から僕らが学ぶこと」を主題に語り続けた。いずれも質問と回答がうまくかみ合っていない。

あらかじめ準備したシナリオに沿って話を展開する場面が多かったため、個々の発言は興味深かったものの、全体としてはどこかすれ違ったディスカッションに終始してしまった感がある。「質問力」の重要性を実感した夜だった。

「質問力」を高めるため、家に帰ってすぐに中島孝志さんの「巧みな質問ができる人/できない人」を読んだ。アーキレヴューの運営から学ぶことは多い。

山崎

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