2004年12月2日木曜日

「庭園の運営」

奈良の紅葉が見頃だよ、という話を聞いた。さっそく奈良へ行ってみた。

京都に比べて奈良は開放的な印象がある。特に、奈良市の中心部ではあまり「境界」を意識することがない。奈良公園、東大寺、興福寺、春日大社。どこまでもずるずると入っていける場所が続く。24時間、鹿も人間も自由に出入りできる。これは日本でも珍しい都市のあり方だと思う。

逆にいえば、優れた庭園が成立しにくい都市だということもできる。「園」は、その文字の形のとおり四方を囲まれた場所に作りこむ理想郷である。つまり、境界を必要とするものである。その意味で京都は有利である。境界や結界が張り巡らされた都市だからだ。

では、奈良に優れた庭園が無いのかというとそうでもない。実は奈良公園のすぐ近くに魅力的な庭園が2つ並んでいる。依水園吉城園である。奈良公園や県庁方面からはその入り口を見つけにくいが、それゆえひっそりとした落ち着きのある空間を保ち続けている庭園である。奈良の紅葉がきれいだというのであれば、見に行くべきはこの2つの庭園だろう。

吉城園は、依水園に比べると小さな庭だが、地形の起伏に富んだ風景は魅力的だ。特に、地形や植物が建物と相互干渉している様は興味深い。「池の庭」へ突き出た縁側と庭木の関係や、手打ちガラスに映りこむ紅葉の見え方などは、どうがんばっても僕には作り出せないような空間の質を担保している。

依水園は前園と後園から構成される庭園で、吉城園に比べると平坦な敷地である。前園はもともと興福寺の一部だった場所で、1670年頃から既に庭園として利用されていたという。一方、後園は明治32年に奈良の富豪が作った庭園であり、これら2つの庭園をあわせて依水園と呼ぶ。前園は閉鎖的で繊細な作りこみが多く見られる庭園だが、後園に至ると春日山、若草山、東大寺南大門を借景とする開放的な風景が広がる。庭園の特徴である「閉鎖」と奈良の特徴である「開放」をうまく組み合わせたシークエンスが楽しめる空間だ。

ただし残念なのは、後園の一番奥まで行くと突然観光バスの駐車場に出くわすことだ。依水園の名前の由来とされる杜甫の詩には「緑の水と竹林が美しい庭園」という一文がある。明治時代には後園の奥にちゃんと竹林があったそうだ。ところがその場所は東大寺の南大門に近かったため、奈良県が土地を買収して東大寺へ来る観光バスの駐車場にしてしまったという。依水園の経営者は、どうして竹林を奈良県に売ってしまったのだろうか。

気になることがある。吉城園と依水園は、隣り合う2つの庭園にもかかわらず、入園料に大きな差があるのだ。吉城園の入園料が250円なのに対し、依水園の入園料は650円。さらに依水園の入り口には、園内施設の改修などにかかる費用が足りないため寄付を募っている旨が示されている。

250円と650円。どうやら、奈良県が運営する吉城園に比べて、財団法人が運営する依水園は財源を確保しにくいようだ。明治期の富豪に依拠したこの財団法人は、入園料や寄付金によって施設維持に努めている。見た目は同質の管理が施されている2つの庭園だが、その運営体制においては大きな努力の差があるのだ。

民間組織で庭園の運営を持続させるのは難しいだろう。特に高度成長を終えた国において財団法人が運営資金を捻出するのは至難の業である。依水園の経営者には頭が下がる思いだ。県営と財団経営。ひょっとしたら、依水園の奥にあった竹林を奈良県に売らなければならなかった原因は、こうした「経営母体の体力差」にあったのかもしれない。

そうだとすれば、庭園名の由来にまでなっている「依水の竹林」を買い取った奈良県は、それを駐車場にしてしまうのではなく竹林のまま保存すべきだったのではないだろうか。経営難に陥っている財団法人に対する側面支援として竹林を買い取ること。その竹林を奈良県が保全すること。このことよって、依水園という公共財を適正な状態に保つことができるのだから。

開放的な東大寺の駐車場には、今日も多くの観光バスが並んでいた。


吉城園の庭と縁側のせめぎ合い


依水園の紅葉

山崎

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